「日本を救った男」と英雄視する見方もあった。吉田氏を一躍有名にしたのは、事故直後に上司から原子炉への海水注入を中断するよう求められたにもかかわらず継続したことだ。現場主義を貫いた判断だった。
こうした死を悼む声がある一方、批判もある。
(中略)
政府の事故調査・検証委員会も吉田氏の責任を指摘した。一つは事故前に検討されていた地震による津波想定で十分な対策を取らなかったこと。もう一つは津波襲来後、頼みの綱である非常用復水器(IC)などの動作確認を怠ったことだ。これらの理由について納得できる言葉は残さなかった。事故原因を究明するうえで、大きな痛手だ。
地元の人との共存をうたいながら多大な被害をもたらした福島第1原発。避難生活を続ける福島県民はいまでも約15万人にのぼる。吉田氏自身は福島の復興がいっこうに進まない現状もあり、自らを英雄視するような見方には戸惑いを感じていたのではないだろうか。
日経2013/9/9 7:00
文芸春秋2012年10月号「炉心溶融 吉田所長の失敗」柳田邦男がある。
福島第一原発での事故については、いくつか調査報告書が出されたが、
ノンフィクション作家の文章は素人にも判り易く説得力がある。