2014年1月4日土曜日

礼節を忘れた隣国には困ったものだ



 ご近所づきあいは難しいもので、家の境界線はもとより、ゴミの出し方といったささいなことでも諍(いさか)いのもとになる。それでも自分や親しい人が、隣人に助けてもらったら、たとえ嫌いでも礼の一つも言うのが最低限のマナーだろう。命にかかわる事態ならなおさらである。
 ▼正月早々、中国大陸から気球に乗って尖閣上陸を目指した酔狂なご仁がいた。もちろん失敗して海に落っこちた。「侵略者」を助ける義理はないが、心優しい海上保安官たちはすぐに現場へ駆けつけ、救助したばかりか「人道的見地」から中国船に引き渡してあげた。
 ▼常識ある社会人なら菓子折りを持って頭を下げにくるものだが、北京にはそういう風習がないらしい。中国外務省の報道官は「この中国人は気球愛好家だ」とわけのわからぬことを言うだけで、謝辞のかけらもなかった。
 ▼そっくりな光景を昨年末、ソウルでも見た。南スーダンで活動している自衛隊は、極度の銃弾不足に陥った韓国軍からの緊急要請を受け、法律ぎりぎりの線で弾を送った。するとどうだろう。韓国の高官と称する人々は「弾は足りていた」とウソと非難の大合唱を浴びせてきた。
 ▼礼節という言葉をすっかり忘れた国々がお隣なのは、日本にとって不幸極まりない。かの福沢諭吉が、脱亜論を唱えたのも今となってはよくわかる。しかも今年は甲午(きのえうま)に当たる。
 ▼120年前の朝鮮半島では、李王朝の苛政に農民が反旗を翻した「東学党の乱」が起きた。これを機に出兵した日清両国はほどなく衝突、日清戦争が勃発したのが甲午の年だった。干支を2回りして今また日中関係と半島がきな臭くなっている。歴史は繰り返す、とは信じたくないが、万が一の備えだけはしっかりしておきたい。産経抄]より







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