2014年3月11日火曜日

(@ペナン島)ペナンのB級グルメを訪ねて


 最近ある記事に目が留まった。英語旅行ガイドブック世界最大手「ロンリープラネット」が、世界のベストローカルフードに、マレーシアのペナンを選んだというのだ。2位のオーストラリア、3位スペイン、4位米国、5位英国の都市や州を抑えて堂々1位。「ペナンのB級グルメが旬」と知って放ってはおけない。人気の秘密を探ろうと、ペナン島に出かけてみることにした。
 マレー半島の西側、マラッカ海峡に面するペナン州はマレーシアの「食の都」と呼ばれる。なかでも州都ジョージタウンを抱えるペナン島は、1786年に東インド会社が拠点を構えて以降、東西貿易の中継港として発展した。マレーやインド、中国、ミャンマー、タイなど多文化の融合を反映したペナンの地元料理に出合える。その数は数百種類にもなるとも言われている。
 編集長のロビン・バートン氏のお薦めは、エビと野菜を混ぜて炒めた麺「チャー・クイティヤオ」、中国・福建省由来のスープ麺「ホッケン・ミー」、エビをベースにしたスープ麺「アサムラクサ」の3品と書いてあった。さまざまなB級グルメが味わえるというガーニー・ドライブと呼ばれる屋台街に足を運んでみた。

2014年3月5日水曜日

英語の正義

3月2日のニューヨークタイムズ紙は「安倍氏の危険な歴史修正主義」と題した社説で、次のように書いている。
[安倍首相は]戦争の歴史を漂白しようとしている。彼や他のナショナリストは、1937年の南京大虐殺はまったく起こらなかったといまだに主張している。安倍政権は金曜に、日本軍によって強制的に性奴隷にされた韓国人女性への謝罪について再検証し、撤回の可能性を検討すると表明した。

これについて菅官房長官は「首相はそんな発言をしていない。日本政府は『日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為などがあったことは否定できない』という立場を従来から表明している」と反論した。

NYタイムズが社説で安倍首相の「右傾化」を非難するのは、今度が初めてではない。去年1月の社説でも、日本が「過去を漂白している」と書いた。彼らの根拠は、ほとんどが伝聞と英語に翻訳された二次資料だ。日本の歴史を検証するのに日本語の文献を読まないのは、英語国民だけだろう。ケネディ大使と同じ自民族中心主義だ。

こういうバイアスが誤解を拡散している。英語の本で"Comfort Women"とタイトルをつけているのは、ほとんどが韓国系アメリカ人の「告発本」である。数少ない日本人の書いた本が、吉見義明氏の『従軍慰安婦』の英訳だ。こういう本の共通点は、慰安婦が訴訟を起こした1992年以降に書かれたことだ。

私のNYタイムズ批判に対して、NYタイムズのタブチ記者は「私は慰安婦の証言を聞いた」というが、それもすべて彼らが日本政府に対して訴訟を起こしたあとだ。訴訟の原告が自分の訴訟に有利になる話をするのは当たり前で、そんなものに証拠能力はない。

米国内の訴訟なら、彼らも原告側の主張だけで記事は書かないだろう。しかし日本語の文献を読むのは面倒なので、入手しやすい英語の告発本だけ読んで、日本政府に居丈高に説教する。タブチ記者もファクラー支局長も最近はでたらめな記事を書かなくなったので、本社の論説委員に日本語の文献を翻訳して教えてやったほうがいい。

NYタイムズの「英語の正義」

2014年3月4日火曜日

チキンキエフ

ソビエト連邦が崩壊寸前だったころ、米国のジョージ・H・W・ブッシュ大統領はキエフで演説し、モスクワを刺激しないようにウクライナのナショナリストたちに強く促した。米国の保守派はこれを「チキンキエフ」演説と呼んだ*1
 「最高宥和責任者」との烙印を押されて久しいバラク・オバマ大統領が今、自らも「チキンキエフ」と呼ばれかねない状況に直面している。ニワトリの檻の周りをうろうろしているロシアの狐、ウラジーミル・プーチン大統領にオバマ氏は立ち向かうことができるのだろうか?

2014年3月2日日曜日

世界を感動させた日本@朝鮮に注ぎ込んだ血税63兆円

 韓国の「反日」は、とどまることを知らない暴走を続けている。それは韓国人が歴史を直視せず、反日妄想に現実逃避しているからである。この連載の最終回に、朝鮮を救った感動的な日本人の話を紹介しよう。

 まず、35年間の日本による朝鮮半島統治(1910~45年)とは何だったのかを、如実に示す数字を見ておこう。

 この間、朝鮮の人口は1300万人から2500万人にほぼ倍増した。コメの収穫量は1000万石から2000万石になり、平均寿命は25歳(10年)から45歳(44年)に伸びた。工業生産指数は100(13年)から550(38年)に大躍進し、公立小学校は約100校から約5000校に増え、ハングルを普及させた。鉄道はゼロから出発し、何と総延長6000キロを敷設したのだ。

 日本政府は累計約21億円を朝鮮に注ぎ込んだが、これは現在の貨幣価値で63兆円にのぼる。第3次日韓協約が締結された07年からの38年間で計算すると、1日45億円の血税を朝鮮に援助したことになるのだ。

 朝鮮の発展に身をささげた日本人も数多い。

 重松●(=高の右に昇)修(しげまつ・まさなお、1891~1975年)は農民を貧困から救うべく、私財を投じて朝鮮の農村振興を計り、「聖者」とまで呼ばれた人物である。彼はまず養鶏により卵を売り、その金を貯蓄して牛を買うという、自助努力の仕組みを農村に根付かせた。彼は三一暴動で被弾して右足が不自由になったが、終戦までの31年間、貧しい朝鮮農民の救済に無私の活動を続けた。

 朝鮮農民の救済に尽力した農学者に、津田仙(つだ・せん、1837~1908年)がいる。津田塾大学の創立者、津田梅子の父親である。農学者の高橋昇(たかはし・のぼる、1892~1946年)は、朝鮮農業の近代的実態調査を行い、農業発展の基礎を造った。石塚俊(いしづか・たかし、1888~没年不詳)は朝鮮米穀倉庫会社社長として、品種や農法の改良、潅漑(かんがい)施設の改善などを通じて、農業生産の飛躍的向上に貢献した。

 日韓併合前の朝鮮は禿山ばかりであり、総督府はひたすらに半島の緑化に努めた。

 1918~42年、日本は何と6億622万4000本の植林を行っている。この植林事業に一生をささげたのが浅川巧(あさかわ・たくみ、1891~1931年)である。彼はまた白磁などの朝鮮の美術工芸の研究者であり、日本への紹介者でもあった。

 朝鮮戦争で大量の孤児が発生したが、韓国孤児を133人も育てた偉大な日本女性がいた。望月カズ(もちづき・かず、1927~83年)がその人である。彼女自身も孤児だったが、反日機運の強い中であくまで日本女性としての生き方を貫いた。

 朝鮮に幾つもの巨大水力発電所を建設して近代工業化に大貢献したのが、日本窒素肥料社長だった野口遵(のぐち・したがう、1873~1944年)である。野口は出力70万キロワットという当時、世界第2位の水豊ダムを1940年に完成させた。北朝鮮は今でもこのダムを使っている。

 「感謝しろ」というつもりはない。ただ、韓国や北朝鮮の人々は、こうした歴史的事実を直視すべきではないのか。 =おわり

 ■藤井厳喜(ふじい・げんき) 国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。近著に「米中新冷戦、どうする日本」(PHP研究所)、「アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門」(幻冬舎)


Zakzak;世界を感動させた日本